「旧暦-西暦の相互変換」で天平元年(729年)まで遡れるようにする

以前から作成していたホームページ内の「旧暦-西暦の相互変換」で、

天平1年(西暦729年)1月1日から明治5年(西暦1872年)12月2日までの旧暦(太陰太陽暦)を西暦、現行の太陽暦として世界各国で使用されているグレゴリオ暦、の日付に変換できるようにしました。

先日も「感想はこちらへ」のホームページを利用したメール送信を利用して、このサイトをご覧になった方からの問い合わせもあったことから、少しでもさかのぼろうと思って今までより50年ほどさかのぼれるようにしました。

このページも9万カウントを越えていて、利用してくださっている方もあるのだと作成した意義を感じているところです。

このページ作成の発端は西行の

ねがはくは花のもとにて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ

の短歌がきっかけでした。[きさらぎの望月]に桜が咲くのかな?という些細な疑問からでした。それからこの旧暦と西暦を変換するスクリプトを他の方のものを参考に、「日本史小百科」を読みながら作成していきました。それにより

西行は文治6年2月16日、河内葛城山の西の麓の山里で亡くなった。文治6年2月16日は旧暦ー西暦の相互変換で西暦 1190年 3月 30日です(現在使用されるグレゴリオ暦)。釈尊涅槃の日に入寂したといわれている。享年73。

ウィキペディアとの西暦月日が違っているので、質問もしたら以下のような回答が寄せられました。

西行の没年月日の西暦表示について

これにより

西暦1757年2月17日が消えた!宝暦7年1月1日の前日の西暦は?

私のサイトに作成している「旧暦-西暦の相互変換」について、「ご感想はこちらへ」をクリックして送信してくださった方から、次のようなお問い合わせがあった。

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西暦1957年2月17日が不明なので、お手数でしょうが、調査をお願いします。



2.旧暦(和暦)から西暦に変換を使用して、「宝暦6年12月29日」を入力すると、「西暦1757年2月16日」と表示されます。



同様に、「宝暦6年12月30日」を入力すると、「指定した月は小の月です。29日までしかありません。」と表示されます。



同様に、「宝暦7年1月1日」を入力すると、「西暦1757年2月18日」と表示されます。



以上、よろしくお願いします。

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「西暦1957年2月17日」は単純に「西暦1757年2月17日」であることが、文面から分かった。問題はそれではなく、宝暦6年12月29日」と「宝暦6年12月30日」、「宝暦7年1月1日」の西暦がどうなっているかなのです。

1日が抜けているということは、暦の信頼を失うことにもなるし、もとにした書籍の信頼にもかかわるので、調査してみた。

しばらくこの旧暦-西暦の相互変換」の手入れをしていないので、確認することができるかどうか、宝暦6年のところの記述をうまく確認することができるか、またその記述の間違いなどを確認できるか、など不安を次々に抱えながらの調査でした。

元にしております「日本史小百科 暦」に立ち返り、再計算をいたしましたところ、記述を間違えていたことが判明しました。

 
正しくは
宝暦6年12月27日→1757年2月15日
宝暦6年12月28日→1757年2月16日
宝暦6年12月29日→1757年2月17日
宝暦6年12月30日→「指定した月は小の月です。29日までしかありません。」
宝暦7年1月1日→1757年2月18日
 
となるようです。
ご指摘をありがとうございます。
 
現在、桓武天皇の時代の天応元年まで、西暦(グレゴリオ暦)に変換できるようにしているので、あと200年近くは、その参考図書から導き出せるはずだが、今回も時間の都合上、遡ることができなかった。
 
今後ともこのような指摘を頂けると、作ったことの喜びを感じることができる。