額で辞書を読む。ハイテク機器「オーデコ」

2009年、カメラで障害物の存在だけでなく大まかな輪郭をもとらえる装置「オーデコ」が発売された。

鉢巻状のバンダナの額部分に仕込まれた小型カメラで前方三メートルあまりの映像を捉え、それを微弱な電気刺激で額に平面図として描く。紙面の文字をカメラで捉え、振動ピンを通じて触れる電光掲示板のように指先で触れて読み取るオプタコン(ひと昔前に利用された触読機)という機械の技術を応用したものだという。私は、このオプタコンを小学校低学年から習い、大学院を終えるまで毎日活用し、英語やフランス語の辞書を引き、墨字や楽譜を読んでいた。

最初はおでこがチリチリしていることしかわからないのだが、オプタコン時代に慣れ親しんだ、電光掲示板に流れる平面図のイメージを思い出すにつれ、そのチリチリが「点」であることが認識できた。カメラを動かすために顔を少し上下させると、眉間の真上辺りにあったチリチリの点が消えたり現れたりする。顔をゆっくり下に動かしていくとその点がハの字に開いた線となり、さらに下に行くとその線の間に横線が生まれる。最初に感じた点は、三角形の頂点だったわけだ。これで三角形が認知できたことになる。

三宮麻由子著『ルポエッセイ 感じて歩く』岩波書店、2012年6月6日 第1刷

このような機械での電気信号を受けるといってもそれを文字として認識し、さらに辞書なども読んでいく三宮さんの大変な学習と今期を必要としそうだ。見えていても辞書を読むなんて大義になってしまいそうなのに、額で一字一字を感じながら読んでいくなんて気が遠くなるような作業に思える。

 

雨の音は、実にたくさんのことを教えてくれる

いつもなら、ぶつかるまで分からない路上駐車の車の存在や、手で触れることのできない民家の屋根の高さ、けとばさなければわからない路肩の空き缶、遠慮してなるべく触らないようにしているよその家の文の材質・・・・・・。それら、普段は黙っている物たちが、雨雫が当たることで音を授かり、「雨語」を話し出す。
「屋根でござる。高さはこのぐらいで、材料はトタンでござる」
「おいら空き缶。こんなとこに捨てられちまって、冷てえぜ」
「イェー、おれポルシェ。雨に濡れた形もいけてるだろ?」
とまあ、そんなことを言っているのかどうかはわからないが、ともかく、雨が地上に新たな音を届けると、街全体が目覚め、さまざまなものの存在を私の耳に伝えてくれるのだ。

三宮麻由子著『ルポエッセイ 感じて歩く』岩波書店、2012年6月6日 第1刷

シーンレス(全盲)の著者が感じる世界。目の見えているものよりよっぽど多くの物を見ているという感じがする。他のエッセイも手にしてみたい。