子どもの頃、花札で猪鹿蝶の役が揃った!などと、「萩に猪」「紅葉に鹿」「牡丹に蝶」の3枚を揃えると一つの役となる、という遊びをやっていたことがあります。今日お集まりの方々も経験があるのではないでしょうか。遊び方もすでに定かでなくなるくらい何十年もやっていません。札の山をこうやってめくりながらいいのが出ないかな?なんてやっていたような・・・

本日は、「牡丹に蝶」、いやいや花札のことはこっちに置いといて、蝶にまつわる話から始めてみたいと思います。

8月16日の施餓鬼会の早朝の本堂の様子です。 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA

お盆にはお墓や仏壇にオミナエシ(女郎花)を供えたお家も多いのではないかと思います。女郎花といえば、わたしが子どもの頃は近所の檀家の方から、「山からオミナエシを取ってきたから少しだけど使ってください」と分けて頂いてたことを思い出します。山の草を刈り牛などの餌にもしながらお盆の花も採っていたんですね。先日、私は他の方がた十数名と山の中でそのオミナエシの葉を一枚一枚裏返して見ていきました。花ではなくて葉っぱの方です。まだほとんど花も咲いていない7月末です。女郎花を探すのも一苦労でした。これはウスイロヒョウモンモドキという環境省のレッドデータで「ごく近い将来における絶滅の危険性が極めて高い種」という「絶滅危惧1A」の指定となっている蝶が新庄村に生存していて、その卵があるかどうかを調べていったのです。この夏も、グループのパトロールの中ではこの蝶が飛んでいる姿を見ることができませんでした。それだけに卵のあるなしの確認は気合が入ります。わたしも今回始めて卵調査に参加しましたが、幸いなことに卵が産み付けられていたの見つけることができました。このような卵の発見で新庄村にはウスイロヒョウモンモドキが存在しているということが確認できたわけです。たくさん飛んでいた頃には人の手や体にも止まるくらい人懐こい蝶だったそうです。オカトラノオなどの花の蜜を吸い、オミナエシの葉の裏に産卵する。数種類の花の蜜しか吸わないグルメ故に気候の変化や草刈りも減ってくるという環境の変化に対応できずにいるのでしょう。

さて、一般的な蝶と人との関係に目を向けると、世界各地で蝶が人の死や霊に関連することが見られます。キリスト教ではチョウは復活の象徴とされ、ギリシャでは魂や不死の象徴とされているようです。インディアンの言い伝えでは、蝶は変化と喜びの象徴。蝶に願いと託すと、部族の神様に伝えにいってくれるとされます。日本でも栃木県などではお盆の時期の黒いチョウには仏様が乗っているとか、千葉県でもチョウを仏の使いであるといわれているようです。仏教でも、蝶はあの世とこの世を行きかう力があるとされ、「輪廻転生」の象徴、新しい自分になる、美しく(強く)変化するという意味があります。そんな考えから日本では、不死・不滅を具現するシンボルとして武士に好まれたようですし、家紋になった動物の中で一番多いのが蝶だそうです。平家の家紋で有名な横向きの揚羽蝶は、落人伝説の残る里の家々の、柱の裏に今もひっそり息づいているということです。これらは蝶は卵から幼虫、幼虫から蛹、蛹から羽化して成虫となるという生態の変化があることにも関連しているのでしょう。加えて「ちょう」という音は整った数・連れ添いの偶数を示す「丁」、秀でる・上に立つという「長」とも重なり、吉祥文様として婚礼の衣裳などに施されるモチーフでもあります。

先に花札のことを申しましたが、牡丹と蝶は中国では富貴と長寿をあらわす組み合わせだそうです。ひらひらと儚げに飛び、ちょっとの風で煽られる蝶ですが、そんな蝶の中にも2000km以上も海の上を飛んでくるアサギマダラという蝶なども新庄で見かけることができます。どこにそんな強さがあるのでしょう。卵→幼虫→蛹→羽化→成虫と変態する様子から、「回生」「復活」の象徴とも考えられてきたのでしょう。

江戸時代の曹洞宗のお坊さんである良寛さんは、新潟の生まれながら岡山県倉敷市玉島の円通寺の国仙和尚を生涯の師と仰ぎ修行され、辞世の句として「散る桜残る桜も散る桜」とか「うらをみせおもてを見せてちるもみじ」が残っています。良寛さんの漢詩に

 花無心招蝶  花は無心にして蝶を招き

 蝶無心尋花  蝶は無心にして花を尋ぬ

 花開時蝶来  花開くとき蝶来たり

 蝶来時花開  蝶来るとき花開く

 吾亦不知人  吾もまた人を知らず

 人亦不知吾  人もまた吾を知らず

 不知従帝則  知らずして「帝の則」(自然の法則)に従う

というのがあります。花も蝶も自分の生涯を一生懸命生き、その中でお互いに出会えれば相手の力を利用して蜜を吸い、卵を生み、幼虫の餌となり、花はそれで次の世代への種を作っていく。私たちも今の人生を精一杯に生き、他の人の力や何かの力をいただきながら、自分では理解しがたい不可思議の力もとで生きているのです。大自然の営みを仏様のはからいと考えるところに仏教があるのです。その中のひとつである浄土宗では阿弥陀佛の限りない慈しみの力によって極楽浄土に導いていただけると心に強く思い、お念仏を唱えていきましょうということです。阿弥陀佛は無限の寿命を持ち、無量の光を放っているのです。それに気づき、甘い甘い極楽浄土の蜜を私たちも飲ませていただこうではありませんか。手話では蝶はこのように示すようです。(他サイトの「手話基本辞典」で『蝶』)みなさんもしてみましょう。そのまま羽を閉じると合掌の姿になります。

以上で本日の施餓鬼会の法話とさせていただき、最後に十念を唱えて終わりとしたいと思います。それでは皆様、両方の手のひらを蝶が羽を閉じるように合わせて合掌してください。

如来大慈悲哀愍護念、同称十念。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

◆◆ 参考資料  ◆◆◆

世界各地にチョウが人の死や霊に関連する観念が見られる。キリスト教ではチョウは復活の象徴とされ、ギリシャではチョウは魂や不死の象徴とされる。日本でも栃木県宇都宮市で、盆時期の黒いチョウには仏が乗っているといい、千葉県でも夜のチョウを仏の使いという。(ウィキ)

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『誤解された仏教』を読んで(3) 〜仏教の極致 (1)

ここで(江戸時代のお坊さん)良寛さんの漢詩を引いて、議論を展開しています。

花は無心にして蝶を招き
蝶は無心にして花を尋ぬ
花開くとき蝶来たり
蝶来るとき花開く
吾もまた人を知らず
人もまた吾を知らず
知らずして帝の則に従う   *註:帝の則=自然の法則

〜花が開くとき蝶がくる、他力の本願不思議によってはじめて自力が開ける。蝶がくるとき花が開く、自力を尽くしてはじめて真に他力が分かる。小さな自我を投げ出して、己を空じて、一切のはからいを離れるとき、そこにはじめて「天真自然」に通じる道がある。「捨ててこそ」、それはいわゆる他力宗・自力宗を問わず、宗教の極致である。

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『良寛全集 上』 東郷豊治/編著 東京創元社 1959

  p348(漢詩通し番号340)に次の詩があります。タイトルの記載はありませんでした(無題)。

  「花無心招蝶  花は蝶を招くに心無く
   蝶無心尋花  蝶は花を尋ぬるに心無し。
   花開時蝶来  花開く時 蝶来たり
   蝶来時花開  蝶来る時 花開く。 
   吾亦不知人  吾も亦 人を知らず
   人亦不知吾  人も亦 吾を知らず。
   不知従帝則  知らずとも 帝則に従う。

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これが仏教: 今より幸せになる知恵27話 ひろさちや

花と蝶は何の打ち合わせもしていないのに、花が開く時蝶が来て、蝶が来た時花が開いている。そして、花は蝶に花粉を媒介してもらい、蝶は花に蜜をいただく。大自然はほとけさまのはからいによって、みごとに調和がとれているのである。

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法然上人行状絵図

上西門院深く上人に帰しましまして、念仏の御志浅からざりけり。或る時上人を請じ申されて、七か日の間説戒有り。円戒の奥旨を述べ給うに、一つの蛇、唐垣の上に七日の間、働かずして聴聞の気色なり。見る人怪しみ思うほどに、結願の日に当たりて、彼の蛇死せり。その頭の中より、一つの蝶出でて、空に昇ると見る人も有り、天人の形にて、昇ると見る人も有りけり。昔、恵表比丘武当山にして、『無量義経』を講読せしに、声を聞く青雀歓喜苑に生ぜり。彼の先蹤を思うに、この小蛇も、大乗の結縁によりて、天上に生まれ侍りけるにや。

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蝶ってラッキーモチーフなんですか? 

キリスト教では、「復活」を意味しますし、仏教でも、蝶はあの世とこの世を行きかう力があるとされ、「輪廻転生」の象徴、新しい自分になる、美しく(強く)変化するという意味があります。インディアンの言い伝えでは、蝶は変化と喜びの象徴。蝶に願いと託すと、部族の神様に伝えにいってくれるとされます。ギリシャでは蝶は魂や不死の象徴。風水では、ビューティ運や、チャンスを連れてきてくれる運気があるそうです。日本では、不死・不滅を具現するシンボルとして武士に好まれたようですし、加えて「ちょう」という音は「丁」(整った数・連れ添いの偶数)、「長」(秀でる・上に立つ)とも重なり、吉祥文様として婚礼の衣裳などに施されるモチーフでもあります。

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器にひらく文様

蝶は沖縄では巫女の着物の文様であり、祖霊と考えられてきたという。この世と彼の世を往き来する精霊の蝶はかぎりなく魅惑的で、そして怖しい。蝶を魂の乗り物と考えたのは日本人ばかりではない。ギリシャ語の魂・気息をあらわすプシュケー(霊魂)は蝶のことでもある。人から離れた最後の息が蝶になるというイメージは美しい。ローマの石棺にも魂を吹き込むものとして蝶の姿が描かれている。ミイラのような蛹から優美な蝶への変身は、他界への神秘的な再生を、古代人ならずとも夢見させずにはおかない。儚いものの美しさをことにも好む日本人にとって、蝶はうってつけのシンボルにちがいない。家紋になった動物の中で一番多いのが蝶だそうである。平家の家紋で有名な横向きの揚羽蝶は、落人伝説の残る里の家々の、柱の裏に今もひっそり息づいている。この目を惹く昆虫が万葉集に歌われなかったのは不思議だ。日本書紀にスクナヒコナのミコトが蛾(ヒムシ)の皮衣というシャーマンめいた衣装で登場するが、それさえ本当に蛾なのかどうかいまだ断定にいたらないらしい。あれほど自然の息づかいに敏感な万葉の人々が何故歌わなかったのか。もちろん漢字の「蝶」とその音(てふ)が入ってくるのは8世紀ごろの事で、それ以前、この虫は日本各地で、さまざまな名前で呼ばれていた。多くは「かはひらこ」など「ひら」とか「へら」とか云う音が入っている。一説にその「ひら」は東北地方の「シラ」→「おしらさま」と関連があるともいう。日本の蝶のデザインの中には蛾を思わせる胴体の太いデザインも多い。おシラ様のように女性が信仰をになってきたところには当然養蚕信仰もあったろう。おシラ様に憑かれる女性たちは川原に機を織るタナバタツメの末裔なのかもしれない、と想像するのは楽しい。平安時代に入ると、蝶はあでやかに舞い始める。姫君たちの和鏡の裏に夥しく鋳造された蝶は、鏡もまた魂を写す物だからこそ、相応しい文様として愛されたのだろう。源氏物語「胡蝶」の巻に描かれた舞手の童子たちの衣装の華やかさはめくるめくばかりだ。「秋好中宮御読経のとき」という仏教的な場に、古来からの、蝶を精霊(ショウリョウ)とみなす信仰が揺曳している。藤原時代には仏具に蝶の意匠が目に付く。高野山にある金銅製の磬などすばらしい意匠と思う。古代ミュケナイの黄金の蝶にも似た、胴の太い立派な蝶だ。

    うすく濃き苑の胡蝶たはぶれてかすめる空に飛びまがふかな   後鳥羽院

江戸時代、詩歌にも器にも、蝶は存分に飛び回る。 古九谷の牡丹文大皿には豪華な大輪に揚羽蝶が遊ぶ。牡丹と蝶は中国では富貴と長寿をあらわす組み合わせらしい。孫引きだが、岡泰正によると同音の吉字と掛けて蝶は八十歳のことだそうだ。蝶が、長寿のしるしとは、なんとなく違和感がある。

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花札の謎シリーズ6月札『牡丹に蝶』後編

さらに中国では、蝶を『ほう』と発音するそうで、八十歳を意味する漢字(傘寿)と同じ読み方をする事から、長寿吉祥の象徴と考えていたようです。そして【卵-幼虫-蛹-羽化-成虫】と変態する様子から、【回生】【復活】の象徴とされてきました。この『死んでも生き返る』『新しく生まれる』『復活して元に戻る』=つまり【再生】や【永遠】の象徴という事で、吉祥のシンボルだったのではないでしょうか。

◆◆◆◆◆◆◆枕草子「花や蝶や」

◆◆◆◆◆◆◆花札の遊び方 猪鹿蝶