念佛寺内陣を飾る蓮の花…金盛氏より
念佛寺内陣を飾る蓮の花…金盛氏より

本日は大変な雨の中、念佛寺の施餓鬼会にようこそお参りくださいました。昨年、一昨年とこの施餓鬼の日には赤い花をいっぱい咲かせていた百日紅も今年はまだひと房、二房ほどしか花をつけていません。8月から雨の日も多い今年です。天候不順で稲作も気になる所です。また昨日はこの周辺でも猿が出没したということで、トウモロコシや夏野菜を予定より早く収穫したというお話を近所の方から伺いました。お話だけでなく、トウモロコシのおすそわけも頂き、感謝したところです。

「世の中に蚊ほどうるさきものは無し ぶんぶぶんぶといふて夜も寝られず」

これは江戸時代中期の第11代将軍の家斉の代に8代将軍吉宗の孫にあたる松平定信が行った寛政の改革(1787〜1793)を批判したもので、「蚊ほど」は「かほど」の意味もあり、「ぶんぶ」には「文武」の意が込められており、定信の政策がうるさくて夜も寝られないという意味です。朱子学以外を禁止した寛政異学の禁とか、旗本御家人の借金返済無用にする棄捐令などもありました。

先日のことです。畑から茗荷を取ろうと手を出すと、蚊が「やった!獲物が来た!」とばかりに寄って来て、手やら顔やら、あろうことか頭のてっぺんまでぶんぶぶんぶと飛んできて刺してきました。そんなことから、こんな狂歌があったなと思いだしたものです。

2014/08/16 まだ咲かない、念佛寺の百日紅
2014/08/16 まだ咲かない、念佛寺の百日紅(御地蔵様の上の木)

話が変わります。ここに書き出した言葉をご覧ください。

台風、据わる、肥やす、木、火が出る、触れる、世間、回る、敵、合う、賽、皿にする、三角にする、碁盤、白黒させる、はかり、堅い、余る、利く、曇る、眩む、鱗が落ちる、出る、点になる、配る、心の窓、心の鏡、

いくつかの言葉を並べましたが、これらに共通する言葉は何でしょう?

そうですね。目です。「目は口ほどに物をいう」という言葉もありますが、目のつく語句や言い回しもたくさんあります。先ほどあげた言葉はすべて目が関わる言葉です。

最初に、身体のいたるところを刺す蚊について話しました。服の上から刺すからたまったものじゃありません。でも蚊が刺すのは皮膚だけでもなかったんですね。一月ほど前に初めて知ったのですが、蚊は目の中にも忍びこんでくるんですね。忍びこんでくるというと変かもしれませんが、目ん玉の中で飛びまくるんです。医学用語では蚊が飛ぶと書いて飛蚊症というそうです。私は最初、目の中にゴミでも入ったのだろうかと目を洗ったり目薬をさしたりしたものです。でもなんともならない。大変なことになったことだと眼科を受診すると、飛蚊症といわれました。ひどくなれば網膜剥離の疑いにもなるから受診を早くするようにともいわれ、最終的には何の治療もなく、「年ですね。慣れるしかないです」とあっさり言われ、学校を定年退職した以上に年をとってしまったように感じたものです。

いろんな表現のできる目です。「目が利く」とか「目力」「眼力」など目の力強さを示す言葉も多くあります。お経の中にも「目」という字が登場します。目を開け閉めする「開目閉目」、神通力第一の弟子「目連(もくれん)」とか「摩訶目?連(まかもっけんれん)」などと出てきます。また「眼」という字では「得清浄法眼(法をみる清浄な眼を得る)」、「心眼無障(しんげんむしょう)」「智慧眼(ちえげん)」「天眼(てんげん。極楽浄土に住んでいる全ての人が持つ「一切を自在に見通す通力・六神通の第2」の天眼通を得る)」などと出てきます。

今回の寺報第44号のQ&Aで六道牌をとりあげました。六道牌の言葉は無量寿経の最初の方に出てきます「興大悲(こうだいひ)・愍衆生(みんしゅじょう)・演慈弁(えんじべん)・授法眼(じゅほうげん)・杜三趣(とさんじゅ)・開善門(かいぜんもん)」という言葉です。これは「大悲をおこして、衆生を救い、慈悲のこもった弁舌で教えを説き、法を知る智慧の眼を授け、地獄・餓鬼・畜生の三悪道をふさぎ、善門を開く」という意味です。極楽浄土に生まれたものは世間のすべてを見通す、つまり一切諸法の事物・事象の真実を知る智慧の眼を授けられるということです。

飛蚊症になって以来、まだ一月ほどですが、右目の中央辺りにぼやっとしたものが常に見え、眼を動かすとともにそれも同じ方向に動いていきます。どのくらい経ったら慣れるものやら分りませんが、これはどうも気を長くしてつきあっていく他ないようです。

茗荷を食べると「物忘れがひどくなる」という俗信があります。お釈迦様の弟子の周利槃特(しゅりはんどく)が自分の名前され忘れるから名前の札「名荷(みょうが)」を下げていたといいます。なくなって埋葬されたのちに出てきたのが、今言う茗荷というように言われています。飛蚊症のうっとうしさを茗荷をたっぷり食べて忘れてしまいたいものです。

先程、猿の襲来の話をいたしましたが、猿の中にも「見ざる、聞かざる、言わざる」というしとやかな?「猿」もいるようですが、実際はそうでない猿が多い。また私たち人間も、自分が知らないことを知りたい、聞きたい、また知ったことをしゃべってまわりたい、という欲求もあります。そのような欲望を仏様は極楽浄土でかなえさせてあげようというのでしょうか。

極楽浄土では、六神通を得ることができ、思い通りのところへ到り、思い通りの姿に変え、思い通りに下界を変える「神足(じんそく)通」を得、世間のすべてを見通す能力の「天眼(てんげん)通」を得、世間のすべての音声を聞く能力「天耳(てんに)通」を得、他人の心を知る能力「他心(たしん)通」を得、過去世のすべての事柄を知る能力「宿命(しゅくみょう)通」を得、全ての煩悩を断って再び迷いの世に生まれないと覚る能力「漏尽(ろじん)通」を得ることができると説かれています。これは無量寿経の四十八願の中で修行中の法蔵比丘がこれらの願いを立て、それが成就して阿弥陀佛になっていらっしゃいます。そのような浄土に往生することを願いながら、これからも先祖並びに私たち自身のために念仏を称えてまいりたいものです。

最後に、皆さまとともに十念を称えて終わりとしたいと思います。

如来大慈悲哀愍護念。同唱十念。

南無阿弥陀佛。南無阿弥陀佛。南無阿弥陀佛。南無阿弥陀佛。

南無阿弥陀佛。南無阿弥陀佛。南無阿弥陀佛。南無阿弥陀佛。

南無阿弥陀佛。南無阿弥陀佛。