江戸時代の大庄屋と触。異動する大庄屋

元禄11年(1698)の真庭郡の大庄屋と触

江戸時代の大庄屋制度も、いつの時代にもあったわけでなく、天領になれば廃止され、藩になると大庄屋制度になり、さらに大庄屋が変わることもある。そんなことが分かった。   

  • ◆真島郡の南部はこの時、天領になっていたため大庄屋は置かれていなかった。
  •  
  •  
  • 新庄村に限ってみると、大庄屋が時代によってコロコロと変わっている。

    新庄村の大庄屋の変遷

    • 寛永2年(1625)森家が美作全体に51人の大庄屋を置いて民政諸般の事務にあたらせた。
    • 寛永11年8月(1634)真島郡高田村の田中氏に属す(高田触)
    • 寛文元年10月(1661)高田村兼田市郎左衛門に属す。(金田?)
    • 延宝元年(1673)高田村田中九郎左衛門に属す
    • 元禄2(1689)高田村九郎左衛門(内田宮司文書)
    • 元禄3(1690)高田村田中徳左衛門
    • 宝永3年5月(1706)小童谷村の宍戸喜右衛門と触が高田触から小童谷(ひじや)触と改められた。
    • 元禄10年(1697)森家は国除となり、10月11日、美作(作州)は全く幕府の領する所となり大庄屋制は廃止された。この廃止時に新庄村の大庄屋は小童谷村宍戸氏。
    • 元禄11年正月14日(1698年2月24日)松平長矩が美作の内10万石を領すると新庄村はその領地となり、再び大庄屋制度によって三家村の進氏に帰属する。この進氏は赤松氏の子孫で真島郡第一の旧家と称される。小童谷村の宍戸氏は松平氏入封するも起用されず廃されたまま三家触に属した。
    • 元禄12年3月(1699)小童谷触取立てとなり、宍戸氏は再び大庄屋に就任し、新庄村は再び小童谷村宍戸氏に属す。
    • 享保3年8月(1718)の記録は大庄屋宍戸喜右衛門となっている。
    • 享保10年から11年(1725~26)の山中一揆のあったころは三家村進五左衛門になっている。
    • 享保12年(1727)真島郡は天領となり大庄屋は廃止された。その後、天領約50年間、明和元年(1764)勝山に三浦氏が入封したが大庄屋制は行われなかった。

      以上、『新庄村史 前編』P87参照

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください