1726年(享保11年)の暮れから翌年にかけて、津山松平藩領で起こった百姓一揆=山中一揆が起こされた。一揆の主勢力が、現在の真庭郡内の旭川上流地域を山中地方と呼んでいたのでこの名がついた。この一揆の指導者は牧の徳右衛門、見尾の弥次郎、さらには大森の七左衛門など。苛酷な藩政に抵抗して生活を守るために立ち上がった青壮年者の中で、処刑された犠牲者51名という、日本の江戸時代の一揆の犠牲者の数では例を見ないほどである。1年に1件おきるかどうかの蜂起の形態である山中一揆。地元の人々の間では義民祭りなどとして今でもその徳を讃えている。