プロフィール
(こんなこと書いていいのかななんて思いながら書いてますから,あまり読まなくていいですよ。挫折の日々の歴史なんですから)
名前
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誕生後は 田中寛一(たなかひろかず)とつけられた。
名前の由来 父が、心理学テスト(田中ービネー式)などで有名な心理学者・田中寛一の名前を取り、「ひろかず」とよばれていた。
生まれ 1953年9月。てんびん座。
血液型 O型
小学校まで よく分からない。兄が丸刈りをしているのを見て,自分もやってくれと父に頼んで丸刈りになったそうだ。
小学校時代 よく遊んでいた。境内でかくれんぼ、缶蹴り、釘立て(陣取り)、パッチン、ビー球、ソフトボールなどをしていた。境内は格好の遊び場所であった。
中学校時代 給食と、部活動(野球部)が楽しみだった。
2年になる春休みから、早稲田速記をはじめた。単純な記号を練習し練習し、飽きるほど。うまくかけない斜めの線があり,スランプに陥ったこともある。単語カード《英語ではなく速記の》を作って速記文字を覚えたり、ラジオを買ってもらって土曜日の夜七時半から行われる「早稲田速記の時間」という番組を聞いて、2分の練習問題に挑戦し、送って、合格不合格を楽しみにしていた。
速記を理由にしながら買ってもらったラジオで,夕方のNHK−FMを聴きポピュラー音楽,歌謡曲に親しむ。
高校時代 勝山高等学校の普通科に進学。中学時代大好きだった数学も最初のころ簡単で,居眠りしていたらさっぱりわからなくなった。このとき,「油断大敵」を実感する。
高2の秋,担任に「こんな成績ではどこの大学にも入れないぞ」と言われ,速記を手放し,大不得意科目の英語の10点アップを目指す。英単語がまるでだめだった。同一文に書き換える問題に的を絞る。
各教科の担任が出席をとるのに,「たなかかんいち」と呼ぶので,
最初の一週間は抵抗して「ひろかずです」といっていたが,あきらめた。以後,同級生は,「かんちゃん」と呼ぶようになる。
大学時代 関西大学経済学部にかろうじて合格。速記部があるのを知り,尋ねてみると,中根式ということで断念。ガイダンスを丁寧に行ってくれた「経済研究部」というサークルに入部。この部で,近代経済学の理論を先輩たちに指導してもらいながら,勉強する。わからないことが少しでもわかることの面白さを知る。サークル仲間からもらった年賀状に「(かんちゃん)-(まじめ)=0」というのが書かれていたことはショックであった。ショックではあったが,改める気持ちはなかった。
趣味は,ラジカセで,FM大阪を聞くこと。特に日曜日午前中にあった番組で,シャンソン,カンツォーネ,ラテン,カントリーなどの音楽を聴くことは大好きであった。
徳山から来ていた友達にコンサートに誘われた。日本で初のコンサートだからと言われ,2万円の仕送りの中で5000円のチケットを買う羽目に。フレンチポップスのミレイユ・マチュー。彼は丁寧にもテープまで貸してくれ,放送日まで教えてくれ録音するようにということまで教えてくれた。これがマチューとの出会い。聞くうちに良さがわかった。きれいな歌声,張りのある声。最初のコンサートは,中央前から5列目。途中,客席にマチューが降りてきて,私は恥ずかしながら,手を差し伸べると握手をしてくれた。もうこれで決まり。これは3回生のときだったと思う。第2語学をスペイン語を取り,やっと可で合格だったにもかかわらず,フランス語講座をラジオで聞き始め,4回生の時には,とらなくてもいい専門のフランス書講読を履修。英語のtheにあたる語句さえわからず,授業前に訳していくのに,1文を解読するのに,2時間くらいかけていた。わからないのがすこしずつ解読することが面白かった。試験は持ち込み可だったので,教授の訳を速記でみな書いていたから,楽勝だった。
同じサークルの仲間も,卒業式のときまで,私の名を「かんちゃん」と思っていたようだ。「本当は,ひろかずだったんか?」と。でも卒業後もやはり「かんちゃん」だ。
2回生から教職の課程も履修し始め試験が大変だった。
社会人 岡山県の教職員試験に合格。
初任校は,浅口郡寄島中学校。写真《みかんと寄島》《三郎島》《東安倉
  2年目ごろから,玉川大学の通信教育で,数学の免許取得を目指す。そのあまりの難しさに何度も再入学手続きを取る。1級免を目指したが,断念して,2級免許に。それでも足掛け12年間を費やす。お金も費やした。スクーリングに行けばもう少し簡単だとは聴いていたが,それはできなかった。
その後,湯原中学校,二川中学校,再度,湯原中学校,そして現在,蒜山中学校。
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