★ホームへホームへ戻る
▲▲ご感想はこちらへ▼▼

江戸時代の真庭郡の移り変わり

(2002.10.21)

《山中一揆へ戻る》

江戸時代、8代将軍徳川吉宗のころ、岡山県北部に位置する大庭郡と真島郡(平成の大合併までは真庭郡、合併後は真庭市と真庭郡新庄村とになっている)は藩主が次々と変わっていっている。その様子を地図に表したものです。江戸時代の村の名前は合併以前の大字(おおあざ)として残っていました。山中一揆によって大きく支配の様子が変わっていくのをご覧ください。

8.山中一揆前後の領地地図

(1)森家津山藩(1603〜1697年)

(2)真島郡と大庭郡

(3)天領時代(1697〜1698年)

(4)松平家津山藩と天領時代(1698〜1727年)

(5)山中一揆後の天領時代(1727〜1746年)

(6)竜野藩に一部割かれる時代(1746〜1764年)

(7)三浦家勝山藩が誕生(1764〜1812年)

(8)大庭郡が津山預りとなる(1812〜1817年)

(9)大庭郡が津山藩に組み込まれる(1817〜1837年)

(10)津山藩預りの天領に(1837〜1868年)

(11) (2)〜(10)までを通して

マウスを乗せた写真が動きます。 このページのソースはQPONさんからいただきました。

美作の中の真庭